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金山登山道


金山登山道のギャラリーです。資料参考:大山昔ばなしの会

登山道入口

登山道

2基の灯篭の間を通り抜けて、登山道を登り始めると間もなく、赤坂観音の御堂と鐘つき堂があります。この御堂の中には十一面観音が祀られています。作者は不明ですが立派な彫刻がなされています。左手に先手観音があり、この仏像も多紀郡88ヶ所の一つです。横には吉祥天女が彫られています。鳥居が見えてきます。この鳥居は、大正13年に建てられましたが、なぜここに建てられたのかは不明です。

赤阪観音堂
鳥居

鳥居が見えてきます。この鳥居は、大正13年に建てられましたが、なぜここに建てられたのかは不明です。

共聴アンテナ周辺

園林寺跡周辺

滝跡があります。昭和20年代には、大きな岩の間からわずかですが、水が落ちていました。園林寺の尼さんは、寒さが厳しくなる寒中に、滝に打たれる寒行をされていました。園林寺跡があります。戦前から昭和20年代にかけて、尼さんがこのような高山に住んで修行をされていたので、当時は大変人気がありました。8月の末には、ここで盆踊りが催されていました。明智光秀の丹波攻めの時には、コキリ丸という出丸でした。園林寺跡東隣に役小角行者の像があります。金山の大乗寺は、丹波篠山市三嶽山と丹波市石龕時の中間に位置していたので、 三嶽山と大乗寺と石龕時 が連携して山岳信仰の拠点となっており、多くの人が修行に来ていました。不動明王は、江戸時代の文政時代(1818~1829年)に建立されました。

滝跡

鬼の架け橋

今から、400~500年前土に覆われていたこの奇岩が突然の地震により、山が崩落して、偶然岩だけがひっかかって現在の姿になったと言われています。大自然の仕業は、鬼の仕業と言った方がロマンあっていいかもわかりません。

鬼の架け橋

金山城跡

明智光秀が丹波攻めの時に、黒井城(氷上)と八上城(篠山)を分断するため、天正6年(1578)9月から天正7年(1579)10月のわずか1年間の突貫工事で建てた「一夜城」と言われています。また、光秀の埋蔵金の伝説もあります。

金山城跡
丹波地域ビジョン委員会より
丹波篠山市視聴覚ライブラリーより
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